Madam.Kayoのひとり言


by madamkayo
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 『ピアノが欲しいの巻・その2』 

母親の「この家のどこにピアノ置くの?」と言う問いかけに、小学生の私のミジンコ頭は、毎日のようにくるくる回っていた。

 2DKの狭い公団住宅。6畳の居間には、大きなタンスが2つ、その上に小さなステレオがあった。それから、当時としては新型のカラーテレビ。これは、どこの家よりも早く購入したと、母の自慢だった。公団住宅の屋上のような1番天辺の屋根に、カラーテレビのアンテナが付いてからは「ホラ、うちの家だけは大きくて違う色のアンテナでしょ!高いカラーテレビをパパが買ってくれたのよ」と、我が家がある18号棟の天辺が、買い物の帰り道などで見えるたびに指を指して言うのが当時の母の口癖だった。
 話は横道にそれたけれども、あとは父の机がこの部屋にあって、壁には几帳面な父が株の動きを綺麗に赤・青鉛筆で毎日更新している大きな折れ線グラフが貼ってあった。どうもこの居間には、ピアノは置けそうにない雰囲気だ。

 では、私と弟の『子供部屋』と称している4畳半しかピアノの置き場所の候補としてはないと言うのが、消去法の考え方だ。この部屋には、私と弟の勉強机、そして母の足こぎが付いているミシンと、一生使わないであろう着物が入っている桐タンスが置いてあった。私には無駄な物ばかりに感じるが、どれも捨ててくれそうにない。

 母の「ピアノを置いたらどこで寝るの?」の答えは、こうだ!うちにはよその家にある憧れの2段ベットもない。ピアノの上に寝ると言うのはどうだろう?一石二鳥だ。ピアノをこの4畳半の真ん中に置き、弟は当時太っていたので、ピアノの1番上に載せて寝かせる。そして私はピアノの蓋の上だ。でも、あいにく私は寝相が悪い。小学生と言えども、幅30cmにも満たない蓋の上はどう考えてもやはり無理だ。
わかっていながら「ピアノの上で寝る!」と大きな声で母に反論していたような記憶がある。

a0044166_2383560.jpg そうこうミジンコ頭で考えているうちに、隣のK子ちゃんの順調なピアノの練習の音がまたしても薄い壁を越えて聴こえて来る。
私も負けじと、エレピに向かうが、鍵盤も足りないし、タッチも物足りなくどうも違う・・・そんな事を考えて練習をしていると、口が尖がってきて、母に「そんな顔しちゃダメよ。本当にそうゆう顔になっちゃうんだから」と言われたような気がしたけれども、正直な小学生の顔は作り笑顔など作れなかった。

 
 小学生3年~高学年くらいになると、曲の課題は『ソナチネ』『ソナタ』と進んで行く。
この譜面本は、作曲者順に作品が載っていて、簡単な順に番号がふってあるわけではない。だから先生が「今度、これをやってきなさい」と言うのが、宿題の順番になる。
モーツァルト・ベートーベン・ハイドン・クレメンティ・クーラウなどの、初級・中級者向けの楽曲が載っていた。
1作品につき、3楽章から構成されており、楽章ごとにテーマが全く違う主題になっている。
だいたいの作品は、まずちょっと華やかな旋律から始まる第1楽章、そして間の第2楽章は少しトーンを落としたスローなテンポのどちらかと言うと地味めな曲調になる。そして第3楽章は、元気が戻ったようなアップテンポな曲調になるパターンが、どの作曲者でも多いようだった。

 先にも述べたように、当時の私は曲の好き嫌いが激しく、派手な第1楽章とアップテンポの第3楽章は平均的に好きであった。問題は第2楽章。今、この歳になって改めて譜面を見直すと、実にしみじみと味わい深いものばかりだったと気が付いたけれども、当時、『むすんで開いて』で培われた私の脳は理解する事ができなかった。好き嫌いは別として、ちゃんと練習をすればよかったものを、あまり好きでないと感じると、一目譜面を見ただけでほとんど練習もせず、気持ちは第3楽章に飛んでいたりした。だから、いつも第2楽章で、先生になかなか○を貰えない。

 そんな事でつっかえているうちに、そんな好き嫌いはなく、コンスタントに進めているK子ちゃんが、ジワリジワリと、私が以前習っていたソナチネ・ソナタの第1・2・3楽章と駒を進めて行く。

 そうすると、私のミジンコ頭が、「ピアノさえ買ってもらえば、もっと上手になれる!いや、なってみせよう!」と叫び、ピアノの蓋の上でどうやって寝ようか?とぐるぐると動き出す。


 そんな気持ちを父は痛いほどわかっていたのだろう。新しい家を探し始めた。
小学高学年の頃の日曜日に、よく新築分譲地や、東京のマンションなどを見に行く機会が増えて来た。
 当時は今と違い、需要と供給のバランスが逆だった。現在、私はとある住宅会社に勤めていて、お客様を探すのが大変と言うのを感じているけれども、当時は欲しい人の方が圧倒的に多く、住宅建設が間に合わないような時代だった。ことごとくうちは抽選にはずれたらしく、母が「クジ運がうちは悪いのよ~」とばかり言っていた。

 諦めかけていたそんなある日「家が当たったわよ!」と言う、母の嬉しそうな声が聞こえてきた。
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by madamkayo | 2006-11-23 23:19 | 私小説