Madam.Kayoのひとり言


by madamkayo
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その1

a0044166_13574517.jpg残業で疲れていたのか、その日はいつもより早く、と言っても夜12時前だが床についた。
最初の深い眠りが始まった時であろうか、夜中の12時過ぎにアラーム代わりに枕元に置いてあった携帯が鳴った。私は寝ぼけながら手を伸ばして取り、何とか電話のボタンを押すと、「ママー、今日いろんな友達にも会っちゃったから、泊まって来てもいい?」と哀願するような娘の声が聞こえてきた。そう言えば、今日は彼氏様の地元の町祭りがあるから出かけていた。浴衣を着せてもらう為に主人の実家に行き、勇んで着せてもらったはいいが、この日あった地震のせいで携帯が彼氏と繋がらず、大騒ぎをしてようやく出かけたのであった。18歳過ぎにもなったので、うるさい事は言わない事にしていた。でも、友達の家に泊まる時は、証拠写メールを必ず送りなさいと言ってあった。「こんなうるさい親はいないよ」と言われたが、そこだけは譲れなかった。一度、友達の部屋に所狭しと布団を敷きつめ、そこに雑魚寝をしている幾人もの女子高生の露な姿の写真が送られて来た時は、吹き出してしまった。紛れもない証拠写メールだった。とりあえずリアルタイムに送られているものと信じ、忙しく働く親としての責任と言う名のギリギリの部分を守っていたと思う。
でも今回外泊など聞いていなかった。「ダメ。帰っておいで。」と、深い眠りからまだ起きていない言語障害のような口で、最小限の言葉を選びながら、やっとの事声を出した。「ママ、寝てたの?ごめんね。でもいいでしょ。」何を言っているのだろうか。今日は浴衣姿ではないか。「ともかく帰ってらっしゃい。」「どうして?」「ともかく帰ってらっしゃい。」私はこの言葉をモソモソだが何度となく続けた。「・・・わかった。」娘は不服そうに携帯を切った。

「ともかく帰ってらっしゃい」・・・この言葉は私にとって懐かしいものだった。私も今の娘の歳の頃、親は帰宅時間に厳しかった。高校を卒業し、専門学校に行く為東京に通い、帰りに友達とたまに遊んで帰り、遅くなるコールを自宅にすると、母が必ずそう言った。
「お父さんがそう言っているから、ともかく帰ってらっしゃい。」母は自分の意思などなく、母にとって絶対的な父の代わりに発している言葉だった。普段は物静かだが、怒ると恐い父親の権威は、ウもツも言わせない物だった。
高校生の時などは、門限が8時だった。だから、友達がディスコだの何だの出かけていたが、横目で見て私は行けなかった。まぁ、その時は興味がなかったから別に良かったのだが、その後都会に通うようになるといろいろと誘惑があった。これから面白い夜の9時か10時に引き上げるのはもったいない。
高校生まで真面目でいた私もそろそろ夜の街ってやらに遊びに繰り出したかった。

でもこの言葉でしぶしぶと、千葉の片田舎の陸の孤島と言われる住宅街に、乗り継ぎを合わせておよそ2時間弱かけて帰る事を余儀なくされた。
こんな話をすると娘に「ママは古いんだよ。時代が違うの!」と言われた。確かに調度25年前位、4半世紀前の事である。

勤めに出ても、親達の特に父親の私への帰宅時間の心配は容赦なく続いた。勤め先は、新橋か麹町で、やはり2時間は片道かかった。帰宅時間が遅くなると、必ず父は私の3歳下の弟をバス停まで迎えに行かせた。そして必ず愛犬のクロも一緒であった。新検見川駅から鉄工団地行きのバスに乗り、二ノ宮団地と言う団地と言うのは名ばかりの工場地帯の中のバス停で降りた。降りると街灯が少なく、工場の営業時間もとっくに終わっていたせいもあり、ほとんど人通りなどなかった。だから二十歳そこそこの娘がひとりで降り立つのが心配なのであったのだろう。バスが最後の角を曲り直線コースに入ると、おりこうなクロがそれを見つけたとたんなぜかお座りをして向かえてくれた。人間で言うと、背筋を伸ばして正座をしているようにも見える。一点を見つめて、微動だもしない。そして、私が料金を払い終えてバスの階段から降りると、シッポがちぎれてお尻からシッポではないかと言う位振り、迎えてくれた。きっと、最近散歩はサボっているが、数年前野良犬だった頃最初におせんべいをくれたお嬢の恩義を忘れていないのだろう。と船橋あたりで買い物に立ち寄って呑気に構えている姉はそんな事を思ったりした。不服そうなのは、当時高校生だった出来の良い弟だ。「俺だって危ないんだよ。」とボソッと言った。この停留場に来るまでも、団地から離れた途端に人通りが少なくなる。いくら男の子とは言え、何かあったら確かに危ない。父親は自分ではなく姉ばかり心配しているのがどうも弟として不服なようであった。私としては、母親がどうもお弁当のおかずが弟の好み寄りなのが不満であったのだが・・・。

〔写真:娘ゆい、18歳、先日嬉しそうに出かける前〕
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by madamkayo | 2005-08-02 13:57 | あの頃の父のように・・
その2

a0044166_13592457.jpg〔写真:私19歳の夏・下右から2番目、父がほろ酔いの上機嫌で撮ったものです。ちなみに左上の頭がきれているのは、圭ジョン君です。ごめんね。〕

そんな感じで、私は温室育ちで今思うと大事にされていた。でも、当時の私としてはだんだん窮屈になって来た。もう二十歳で、勤めにも出て、少ないながらもお給料も貰えるようになった。少しは娘の事を信じてくれても良さそうなものだと思い始めていた。ある日、会社の飲み会があり遅くなりタクシーで帰った事があった。着いたのが夜中の12時くらいだったかもしれない。浄水場の右側を通り家の近くの角を右に曲った時に、玄関に立っている父親の姿が見えた。心配で何度となく玄関を開けて見に来ていたのであろう。私は「あっ」と思ったが、何も言わずに2階の自分の部屋に行った。すると父親が私の部屋に入って来た。私は今度こそ今の気持ちをぶつけようと思っていた。父親に怒られると小さい頃の記憶からかなぜか涙ぐんでしまって何も言えなくなってしまう。その前にぶちまけようと二十歳の小娘は思った。それでとっさに出た言葉が「いい加減に、自由にしてよ!」と言うものだった。その時、私は自分のベットに座り、目線が父親の太もものあたりだった。そこを横に振り上げた右手でそのままペシっと叩いてしまった。「しまった」と思って私は身体を硬くしていた。父は口数の少ない人だから、私がボーイフレンドと長電話でもしようものなら、黙って上から硬い漬物石のようなゲンコツをドンと落としていった。だからそれがまた来ると思っていた。数秒沈黙が続き、父は黙って1階に降りて行ってしまった。怒っていたかどうか私は顔をあげられなかったので、表情は見る事ができなかった。
するとすぐに母親が私の部屋に飛んできた。「なんて声を出したの。あなたらしくない。お父さんに謝りなさい。ショックをうけてるよ。お父さんはかよこが可愛くてしょうがないんだよ。」と言われた。でも、「私は悪くない!」と思い布団をかぶった。私は父親の気持ちはわかっているものの謝れなかった。

その年の残暑が残る頃、ある日家に帰ると、何だか母親の様子がおかしい。電話で泣きながら誰かとしゃべっているようであった。電話が終わるといきなり私に「お父さん、癌だって。」と言ってまた誰かに聞いてもらいたいのか外に飛び出して行った。父は近くの町医者に検査の為に入院していた。たまに身体の調子が悪くて入院したりしていたので、そんなに心配をしていなかった。それに会社の集団検診で異常なしと出たばかりでもあった。検査の結果が出て母親だけが聞かされたらしい。動転してどこに行ってしまったかわからない母をしばらく待っていた。

父は、椿森の国立病院に移された。家に一旦帰ってその病院に行く時は、母がその時だけは冷静で、「お父さん、家が最後になるだろうから正面の玄関から出してあげましょう。」と言って出かけた。余命3ヶ月と町医者が予測していた。国立病院は面会時間が夜の7時までで、私は東京の会社から駆けつけてお見舞いをするのにギリギリだった。3日に1日位しかお見舞いに行けなかった。昔は本人に告知する事はなかった為、父親の前では元気に振舞わなければならなかった。花瓶の水を取り替えに行くと涙が出てくるので、早々に切り上げてまた病室に戻った。だから、「あの時はごめんね。」と何度も言おうと思ったが、その言葉を口にしたとたん涙がとめどもなく出そうで、とうとう謝る事ができなかった。町医者の予測通り、父は3ヶ月経った初冬に逝ってしまった。私が一生のうちで一番悔いが残る事かもしれない。父に謝れなかった事が・・・


娘から、しぶしぶ帰ると言う携帯の連絡を受けてから、呑気な母親の私はそれからやはり寝てしまったらしい。朝起きてすぐに玄関に行ってみた。赤いハナオの下駄がある。うん、やっぱり帰って来てるな。同姓同士なのか妙な信頼感があった。主人は寝ないで待っていたらしい。「もうお小遣いもやらない。」と凄い剣幕で出かけて行った。歴史は繰り返されるのであろうか。最近、娘もそんな父親を疎ましく思っているようで「自由がない」などと言い始めている。
玄関から、いつもの自分のパソコンがあるテーブルに戻ると、娘のメモがあった。バンビの絵の可愛い小さめの紙には「おそくなって、ごめんなさい。おやすみ(^^)ゆい」と書いてあった。娘の部屋に行くと、化粧を落とし、幼き頃と同じ寝顔の娘が寝ていた。

私は、あの頃の父のように娘を心配している。でも、あの頃の父親のようにちゃんと子供を愛せているだろうか・・・。そんな事を思いながら、あの頃の悔いた気持ちを思い出した。

お父さん、ごめんなさい。そして愛してくれて、ありがとう。
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by madamkayo | 2005-08-01 13:59 | あの頃の父のように・・