Madam.Kayoのひとり言


by madamkayo
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「CHIPSの思い出」 1/25

1. 私達は同級生の巻

Chipsの思い出を語る前に、やはりメンバーはKT高校の同級生だった事から触れなければならないですね。

偏差値と言う区分けでだいたい同じ頭の持ち主が集まったわけであるけれども、幸か不幸か1年生の時、さつきが丘の面々とは同じ1年C組であった。おかず君・圭ジョン君・いんご☆くん・ハリ村くん・そして淀ねぇさんと。同じクラスだったから仲良くなったのか、仲良くなった仲間が偶然同じクラスだったのか、その辺はコロンブスの卵のようによくわからない。

1年C組と言うのは、とても個性豊かな人材が揃っていたように思う。先生からして、元サッカー選手の1・9分けのスパルタ先生だったから、印象深かった。
とりわけ、圭ジョン君とおかず君は目立った。ヒョロっと白く伸びた背の高い、しかもどこぞの外人さん?と思わせる風貌の圭ジョン君と、魔法使いサリーちゃんのカブのようにいつもその横におとものように付いていた一樹くん。若き日のふたりは、いつもなにやら面白い事を企んでいるようなやんちゃ盛りの感じであった。

いんご☆くん、ハリ村くんにいたっては、ごくごく真面目な青年で1年生の頃は目立たなかった。さぞかしお母さんにも手をやかせずいい子にお育ちになって来たのであろう。

私は淀ねぇさんとなぜか同じグループになった。たぶん、最初の席が近かったからであろう。その列には圭ジョン君もいた。そんな事からなんとなく、グループ交際とまでいかないが、たまに行動を一緒にする事もあった。

2年生では、ふたたび淀ねぇさんと同じクラスになり、いんご☆くんとは3年生の時同じクラスになった。しかも席順は廊下側から2列目の私は後ろから2番目、いんご☆君は私の後ろの一番後ろの席にいた。別に前からくばられるプリントを後ろに回しても何も言ってくれず、今の饒舌さとはかけ離れた、ただひたすら白地図を端から端まできれいに塗り上げる生真面目な少年であったと記憶している。その頃、カリメロに寄る技を習得しているとは、露にも知らなかったが・・。

その3年生の時は、授業が終わると「よぉ、印南!」と圭ジョンくんとおかず君があいもかわらずつるんで後ろの廊下側からよく入って来た。彼らは、3年H組と言う理数系に分けられ、人数からいたしかたなく男子だけにされた、私達女子から見たら恐くて入れないような教室の住人になっていた。だから、ますます男臭くなった感じもした。
仲がいいんだなぁ・・と思いながら、声を掛け合う光景を横目で見ていた。


高校を卒業してからも、圭ジョン君とおかず君には良く会った。と言うのは、私が住んでいた、こてはし台に新しい図書館ができたからだ。当時としては活気的な、2階に勉強室があった。机のひとつづつ、小さな区切りがあり、ガリガリと受験勉強をするには格好の場所であった。そこに、彼らは勉強に来ていた。私は、専門学校の学生になっていたから、そんなに勉強をする事はなかったのだが、近所の中学生の頃の同級生の女友達に、図書館に近いと言うだけでかり出された。高校を卒業して、二度と会えないと思っていた彼らに会えるのは不思議な事だった。これも縁なのか・・・。


文化祭でのバンド活動をチラッと見た覚えがあるけれども、私がそのバンドに入れてもらえるとはその時想像もしなかった。


昨年の夏、私が夏休みと言う事もあり急に思いたち、さつきが丘の方達に飲み会をしません?と声をかけた。急な事だったので、圭ジョン君とおかず君しか来てもらえなかった。でも、おかず君は昼間は子供をプールに入れながら公衆電話から連絡を何度も入れてくれ、しかもぎっくり腰になった身体をひきずりながら、新検見川の「笑々」に来てくれた。本当にいい友である。

その飲み会で、「何で加代ちゃんがChipsに入ったんだ?」
とふたりに言われたから、びっくりした。
「え?ちょうどキーボード奏者を募集していたんじゃないの?」
「いいや・・」とふたり。
「だいたい、何であの頃あんまり仲も良くなかったのに入って来たんだ?」とおかず君。
これ以上、野放しに言いたい放題にしておくわけにはいかない!!
ちょうど、先日淀ねぇさんと懐かしい話しをしていた内容を思い出し「だって、1年生の時、淀ねぇさんの家で圭三君達集まってバンドの練習したじゃない。私も見学に行ったわ。」
「あっ、そうだ」
・・・とナンテ事であろう!あの記憶力の良いおかず君までが、引き出しの奥に忘れていた靴下をひっぱり出すかのようにやっと思い出してくれた。
「でも、誰が呼んだんだ?」と圭ジョンくん。これでもかと、私の面目をつぶしにかかる。
「え~!佳隆くんに、今度、山中さん(私の旧姓)に会うのだったら、1年C組のクラス対抗合唱コンクールの時にピアノを伴奏していたから、できるかもしれない。声をかけておいて。・・とでも言ったんじゃないのぉ?」・・・「いいや」と声を合わせてふたり。

私は勝手に思い違いをしていた。20数年、望まれてバンドに入ったと思っていた思いは音をたてて崩れた。
「そうかぁ!佳隆だったのかぁ!!!」とふたりは1オクターブ高い大きな声をあげた。顔を見合わせて、佳隆ならやりかねない、とでも言いたそうな表情で、20数年謎だった部分を解き明かし満足そうであった。

・・・私は、笑々の居酒屋の椅子から、思いっきりズリッと落ちそうになった。
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by madamkayo | 2005-07-25 14:42 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 2/25

2. Chipsに入ったいきさつ

ここで、佳隆くんの事にふれさせていただかないと、何で私がChipsに入れていただいたか・・と言うか無理やり入ったか、わかっていただけないと思う。

昨年のアフターライブの初レディースのお食事会の時「どうして佳隆くんとは、高校も同じになった事もないのに知っているの?」とsatomi嬢に聞かれた。いつもナイスな問いかけをする彼女に、ハタ?と私も考えてしまった。何と言っても私の二十歳になる息子が生まれる前、私にとって紀元前のような話である。

「彼は、知らない間に心に入り込んでくるのよ」「それって好きになったって事?」「違う違う、何て言っていいのかしら?」と困った。
そう、彼の半径1.5m以内に近づいてその熱い語りを聞いた人だけにわかる「佳隆ワールド」と言う吸い込まれるような独自の世界を彼は持っていた。


KT高校を卒業してから、先にも述べたように私は週末図書館に通うはめになった。と言うのは、女友達がお目当ての浪人生が通っていたからだ。
私はというと、東京の方の専門学校に行っていたので、片田舎の地元の住宅地で新しい出会いなど期待していなかった。

そこに圭ジョン君とおかずくんも通って来ていた。勉強をしに来ていたから、そんなに綺麗な格好はしていなかったが、佳隆くんにいたってはその上と言うか下を行っていた。当時の彼は、どこかの難民のような格好をしていた。冬はヨレヨレのセーター、夏はテロテロTシャツ、いや夏もセーターだったかもしれない。でもひとたび喋り出すと、熱き思いを伝える為に、手を自由自在に操りオーバーアクションをし始め、片方の口元を上げニヒルに笑い「だろ?加代ちゃん?」などと目を見て同意を求める。ここまで聞くとイヤな奴になってしまうが、大きなお鼻と毛並みのない眉毛が哀愁を漂わせ憎めない。

その図書館では、さまざまな出会いがあり、圭三くんなどはその片田舎の娘達にプレゼント攻撃をされていた。彼は少々困って受け取っていない様子だった。異性からプレゼントされた事がない私は、もらっておけばいいのにぃ・・などと眺めていた。

そうこうしているうちに、女友達のお気に入りの男の子が連れを連れてくるようになり、私がその連れの方とお付き合いする事になった。当の女友達は努力の甲斐もなく成就しなかった。
その彼らと高校が同じ、しかも圭ジョン君達とも仲が良いと言う看板を持っていたのが、佳隆くんだった。

高校の時は、全戦全敗いいや不戦全敗だった私にもようやく淡い春が来た。相手が受験生と言う事もあり気を使ってのお付き合いだった。しかし、私が就職活動をし、彼が大学に受かり、私が働き始めて様子がおかしくなって来た。春から突然冬がやって来てしまった。

片田舎の住宅地で育った娘は狼狽した。この世の終わりとばかり騒いでいたかもしれない。勢い良く出るホースの水のように辺りかまわず水しぶきを上げていた。そのしぶきをかぶった一人が圭ジョン君だった。彼は電話で優しくいろいろ聞いてくれた。でも私の思いは収まらなかった。

そこでお出ましなのが、熱血佳隆くんである。
彼は、直接会って話を聞いてくれた。最初のうちは「加代ちゃん、この世の中の半分は男なんだぜ。また、愛してくれる人が絶対現れるサ!」と得意なニヒルな顔をしてみせた。でも、私のメソメソは終わらなかった。だんだん彼は切れ始めた。金八先生状態になった。
「加代ちゃんはそんな事だからダメなんだよ!何かやれって言われても今の加代ちゃんは『できない』って言うだろ。それじゃダメなんだ!涼しい顔をして出来ないかもしれない事も『出来るわよ』と言える強い女性になれ!!!」と言われた。その瞬間私の心にセンセーショナルな風が吹いた。

「今、圭三達がバンドをやっているだろ。音楽も聴いているだけじゃダメだ。舞台に立って自分で演奏する側に回るんだよ!」とも言われた。
私は、強い女になれるのかな?ならなくちゃ・・・とブツブツつぶやきながら家路に着いた。
そう、「自分人間改革」の為にバンドに入れてもらおうと思ったのである。

この教えは、後に私の人生に大きく役に立った。十年前ほど、正社員の求人の面接を受ける時に「エクセルやワードは出来ますか?」と面接官に聞かれた。Wondows 95 が出来たばかりである。知るわけがない。でも、私は落ち着いて「出来ます」と言えた。一瞬、あの時の佳隆くんの声が聞こえたような気がした。その後、あわててエクセルやワードの本を買って来たが、アビバに行かなくても人生どうにかなったりする。
だから、彼は命の恩人とまではいかないまでも、私の生き方考え方に多大な影響を与えてくれた人物でもある。


90年代前半だったか、ポールかジョージのコンサートで10年ぶり位に佳隆君に再会した。彼は今の奥さんになる女性を連れ、ダブルのスーツをバリっと着こなしていた。私はコンサートの事より、彼のいでたちが気になってしょうがなかった。私だけ昔からワープしきれず、彼のボロボロのセーター姿が頭から離れない。

私は口走ってしまった。「佳隆くん、慣れない物を着ると身体に悪いヨ!」と。
すると彼は「何を言ってるんだよ、加代ちゃ~ん♪」と言って、いつもの片方の口元だけあげニヒルな笑みを浮かべた。でも大きなお鼻と毛並みのない眉毛だけは変わっていなかった。
変わっていたのは、本場アメリカ帰りの、肩をすぼめて肘から両手を挙げ手のひらで空を持ち上げるようなオーバーアクションに磨きがかかった所だった。
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by madamkayo | 2005-07-24 14:41 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 3/25

3. Chipsでの練習

大いなる勘違いの元、私はChipsのバンドに入れてもらった。彼らとしては、何でこんなイモ姉ちゃんが入って来たんだろうと言う所だったかもしれないが、優しい彼らは何も言わなかった。
と言うか、何も言わな過ぎたようだ。2期目のChipsと言う事も当時知らなかったし、ジョン藤さんとハリ村くん達とバンドを別れて違う音楽をやるようになった事など、最近知った訳である。

彼らからは「これをやるから・・」と何の説明もなくポンポンとコピーした譜面とダビングしたテープを渡された。勘違いの絶頂期にいた私は「なんて優しいのかしら、それにしてもアッサリしてるわねぇ・・きっと男の子だけのバンドなんてこんな物だわ。」と勝手に浮かれた解釈をしていた。

「カシオペア」と言う、フュージョン・Instrumentalのバンドのコピーをすると言うのが彼らの目標だった。カシオペアを聴いて、不思議と私もすぐに気に入ってしまった。説明はなかったが・・。

初めての練習の日は、確か千葉のどこかの楽器店の2階か3階のスタジオだった。スタジオと言うか、音楽教室の一室だった。入るとエレクトーンがひとつポツンとあった。3人は、おのおの自分の楽器をセットして、さぁ始めるぞ!っと言う感じだった。
『ちょ、ちょっと待ってよ。私はこの段違い平行棒のような、しかもやたらにボタンとレバーが付いたマシーンをどうやって使ったら良いのよ?』と絶叫しそうだった。
キーを押してみると「ビヨ~ンビヨ~ン」と変な音がした。しかたなく、そのエレクトーンでやってみた。が、しかしすぐに圭ジョン君から「もっと歯切れの良い音が出ないかなぁ?」と言われた。
『わかってるってばっ』と思いながら、いろいろ操作してみたが、ファンファン言ったりブーブー鳴ったりでにっちもさっちも行かなかった。

私は初回の練習で早くも落ち込んでしまった。次回はどんなマシーンが待っているのであろう?と頭をかかえた。

だが次回からは、そんな心配を一掃してくれた。あの「畑コミ」で練習をする事になった。スタジオを借りるのは料金がかかったせいか、畑コミの教室が使える事に気が付いたのか・・。
もっと喜ばしい事に、ハリ村くんがキーボードを貸してくれた。でも私はこの時、ハリ村君がギターを弾けるのは知っていたものの、何でキーボードを持っているかは良く知らなかった。新検見川でも1・2位を争う「いい人」であった彼は、たまたま持っていたキーボードを親切心からだけで貸して下さったのだと思った。偉大なるマルチプレーヤーとも知らずに。

私は、おかず君かたまに圭ジョン君に迎えに来てもらい、譜面だけ持って行き、もうハリ村君にセッティングされているキーボードを弾くだけだった。片田舎の住宅で半ばお嬢様育ちだったミジンコ頭の私は、どうやって感謝を表して良いかわからず、大事にされていると言う勘違いの真っ只中にいた。

先日、ジョン藤さんの家で、当時のBRAINSのビデオを見せてもらった。ハリ村くんはギターもキーボードも弾ける、マルチプレーヤーだった。もう、ハリ村くん、本当に御見それしましたぁ!そして、お世話になりました!
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by madamkayo | 2005-07-23 14:40 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 4/25

4. ドライブの巻

Chipsにいる時、音楽だけでなく練習の後いろいろつれて行ってもらったり、特典があった。日曜などは、練習が早く終わると近くの浜辺に連れて行ってもらったり、成田空港に見学に行った事もあった。片田舎の住宅街の娘は事の他嬉しかった。でもあくまでもそれは、バンドのメンバーとしての延長であった。

おかず氏の前述の通り、当時の私達はお互いプライベートの事をあまり聞かなかった。と言うか私は彼らにとってイモ姉ちゃんであるからして、女性として認められてない部分があったようだ。

私も彼らがどんな彼女と付き合っているかとか、どんなナンパ合戦をしてるかなど、詳しい事を聞いた事がなかった。唯一聞いたのは、いんご☆くんに「タイプの女性は?」と何かの時に尋ねた事くらいだったと思う。でもその時の彼の答えは、細い子とか優しい子とかではなく「ボブカットの子」と言ったのだ。私は大きな眼が点になった。「だって、なんかこの辺で髪がそろってるとクレオパトラみたいでゾクゾクしない?」と言うのだ。私はならばどんなブスでもボブカットであれば、いんご☆くんのお目がねに叶うのかとハテナ?マークになったりした事があった。


それはさておき、そのバンド練習の後のついでではなく、おかず君といんご君が今度の休みにドライブに行こうと初めて誘ってくれた。私はとっても嬉しかった。やっと女の子って認めてくれたのね♪とまたしても勘違い星人になっていた。

「加代ちゃん、何か弁当をつくって来てくれないか?」と言われた。あら、ピクニックなのネ♪「いいよ!おにぎりの中身は何がいい?」と聞くといんご君が「梅干!」と言った。私は一瞬なんて爺くさいのか・・と思ったが、いんご君の初めてのリクエストである。そんな事はお安い御用と思った。おかず君に聞くと「俺はおにぎりの中身は何でも良いよ。でも鳥の唐揚げが好きなんだぁ」とでも言ったような覚えがある。これは21歳の私には難しいが、日頃お世話になっているおかず君のリクエストである。何とかつくってみようと思った。

私は俄然ハッスルして、早く起きてお弁当作りをした。圭ジョン君は、何かの用事で来れなかったようだが、あとのふたりと初めてのデート?みた~い!♪と浮かれていた。
彼らにしてみれば、当時の彼女とアポが取れなかったのか、ナンパの確立がその時たまたま悪かったのか、暇だったのであろう。。。

おにぎりは難なくできたが、鳥の唐揚げは初挑戦だった。でも何とかできた。卵焼きもつくってみた。少しお洒落をして、これで完璧ヨ!と思い、何だか楽しい気分で出かけた。

連れて行かれた、いえ、連れて行ってもらったのは、私の想像とは裏腹に岩場の谷間の川辺だった。とっても景色の良い所だったが、私は整地された公園のピクニックでも想像していた。
彼らは、岩場の坂をヒョイヒョイと下りて行った。私はTPOを全く間違えてしまった。私のイデタチと言ったら、白の首元がちょっとあいたサマーセーターに短めのタイトなスカート、ストッキングまで履いてサマーサンダルだった。彼らは手を添える事もして下さらず、私は早朝つくったお弁当を守りつつ、高所恐怖症でフラフラしながら、やっとの事で下りた。私のストッキングはバリバリに破れていた。

川辺の石がゴロゴロする所に座って休憩する事になった。そこで初めてのお手製弁当を開いた。
ここで疑問なのが、この時の唐揚げはおかず君が言うのには『骨付き』だったと言うのだが、骨付きは熱の通し方がさらに難易度が増すので当時の私にはできなかったと思う。どこぞの女の子に作ってもらったのと混乱しているのではないかと思うのだが、彼は骨付きだったと言い張る。この時の唐揚げが、骨付きだったか骨なしだったかどうかの真相は永遠の謎である。

当時の彼らの食欲にはちょっと足りない小さなお弁当だったけれども、ふたりがパクパク川辺で食べる姿はとてもハッピーにしてくれた。私は、破れたストッキングを隠しながら、お愛想笑いを振りまいたのだった。
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by madamkayo | 2005-07-22 14:39 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 5/25

5. 「Poly6」を買いに行く

当時のバンド練習の送り迎えのほとんどは、おかず君がしてくれた。そしてたまに圭ジョン君も来てくれた。彼らには本当にお世話になった。

そこで、静かな片田舎の住宅街で変な噂が流れた。母が近所の人から聞いたのは「あそこの角のお嬢さん、いつも違う車が迎えに来る。」と言う噂であった。私は「えっ?何見てるんだろうね。暇なんだよ。ほっときなよ。別に悪い事している訳でもないし。」と言った。

近所には、ドラマ「家政婦は見た」のような、犯人探しではないが、窓のカーテンの隙間からそっと覗いている家政婦が何人もいたようだ。
おかず君・圭ジョン君の車と、当時付き合っていた彼氏の車を合わせると3~4台は違う車が家の前に止まる事になる。しかも圭ジョン君が降りてくれば「ひゃ~!外人までっ!」とカーテンの陰で小さく絶叫していただろう。だが、たぶん家政婦達は、2~3年の間はセリカが止まっていたから、おかず君が本命の彼氏だとでも思っていたに違いない。ま~違いないっ!


練習を重ねるにしたがって、ハリ村くんにいつまでも甘える訳にもいかず、またカシオペアの曲は1曲の中でも、2~3つの音色を即座に切り替えなくてはならない事に気が付いた。これは、シンセが必要だと、メンバーも感じていたと思う。
そして、満を持してと言おうか、清水の舞台から飛び降りる気持ちでシンセを買う事に決めた。

私は知識が全くなかったから、ハリ村君の助言だったのか、メンバーが調べたのか「KORG Poly6」を買う事になった。
でも何故か、新宿まで買いに行く事になった。誰かの大学の先輩か知り合いだかのお店のようである。その買出し?の送り迎えの白羽の矢が立ったのが、もちろんおかず君であった。選ばれたと言うより、犠牲者だ。

新宿までの道のりは遠かった。高速をず~と走って行った。おかず君の自慢のセリカのテープから、サザンのアルバムがずっと流れていた。
おかず君は、道をほとんど間違える事もなく楽器店に着いた。思ったより、小さなこじんまりしたお店だった。もう連絡は付いていたのか、Poly6は用意されていて、ローン申込用紙をスッと出された。私の当時の給料の1.5倍位するしろ物だから一括払いはできない。初めてのローンであるから「借金をかかえる娘をどうかお許し下さい」ってな気持ちで印を押したような感じだった。
でも初めて自分で手に入れた楽器である。とても嬉しかった。

おかず君の後部座席に確か乗せて、またサザンのアルバムとたまに聖子ちゃんを聴いて帰った。本当に長旅だった。

帰ってまじまじとピカピカのPoly6を見た。ボタンがいっぱい付いていて操作が大変そうだけれども、これで、いつも遅れをとっていたバンドのメンバーに少しでも近づけるのではないかと期待に胸膨らませた。

でも、どうして新宿まで行ったのか後で疑問になった。たぶん割り引いてはくれただろうが、おかず君のガソリン代を引いたらトントンだったかもしれない。千葉のどこかの楽器店で購入しても良かったのではないかと思ったのは私だけだっただろうか・・。少なくても、ゲップがでるほど、サザンを聴かずに済んだのではないかと、ガソリン代を払うのも忘れて半ばお嬢様育ちのミジンコ頭は思ったりした。

(おかず君本当にお世話になりました。このお礼は何にしましょう?・・笑々のから揚げでいい?)
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by madamkayo | 2005-07-21 14:38 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 6/25

6. ミーティング(畑コミの巻)

Chipsの練習の場所は、もっぱら畑コミであった。
私にとって、遅ればせながらの青春の思い出の場所である。

当時、Chipsでは練習が終わると、よっこいしょと重い楽器をそれぞれ持って、狭いエレベーターで降り、車に積んだ後、入り口の階段あたりに座って、駐車場でミーティングを始めた。ミーティングと言っても、誰かの車のドアを開けながら、テープに吹き込んださっきまで演奏していたものを、カーステレオから聴きながらの反省会である。

彼らは決まって、近くの駄菓子屋さんでパンを買ってかじっていた。圭ジョンくんはジャムパンがお好みのようだった。っと言うか、それしかなかったのかもしれない。
私が「他のバンドでファミレスに行って反省会をする所もあるんだって」と勇気を持って言ってみたら、案の定「お金がないからここでいいの」と言われた。うん、今となれば、若いから出来た貴重な体験だったかもしれない。

圭ジョン君が小走りでパンの袋を待ちきれないのか開けて、ひと口食べながら駐車場に戻り、2口目をくわえながらカーステレオのボタンを入れたらミーティングの始まる合図だ。

ミーティングの会話はこんな感じだった。
「ここの、タ~ラ~・ラ~リラのここの裏で入るんだよ。」
「あぁ、ここの、ボンボボン・ズッターズタのタか?」
「ちがうよ、スタタン・スッタタン・スのスだよ。」
「だから、パッパ~・ンジャ~のンでしょ?」
と勝手に自分のパートのカタカナ音で言うからさっぱりわからない。
大将の圭ジョン君が「お~い、自分のパートでてんでに説明するなよぉ!」と言い、おかず君が「ヒャ~ヒャ~」と笑い、いんご君が「なんだよ~、一樹~!ガッハッハッ!」と笑い、それを見ていた私がつられて「ゲラゲラ」と笑った。
本当にお気楽バンドだったけれども、本当に楽しかった。


だから、昨年の5月のセッションは特別な思い入れがあった。
特にセッションの本番の前に、ジョン藤さん・さとみちゃん・そして景ちゃんと、練習の為に畑コミに訪れた時は、懐かしくて涙が出る思いだった。「トランク・ボーン事件」以来もう二度と来れないと思っていたものだから・・・。調度あれから20年になる。

白い壁の音楽室も少しくすんでいたけれども、狭いエレベーターも、入り口の階段も何も変わっていなかった。変わったのは、私の歳だけであった。
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by madamkayo | 2005-07-20 14:37 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 7/25

7. ミーティング(おかず君の家の巻)

元気なChipsの仲間も冬の寒い時は、いつもいつも畑コミの駐車場でミーティングと言うわけに行かなかったようで、おかず君の家の部屋を使わせてもらう時が何度かあった。

私も実は12歳まで団地の4階で育ったので、おかず君の家は懐かしい感じがした。

ある冬の日、お邪魔した時の事だった。野郎3人ぞろぞろと入り、私も続けてお邪魔させてもらった。その時お気に入りのパンプスと茶色のスカートを履いていたから、会社の帰りの練習の後だったかもしれない。

部屋に入るとしばらくして、玄関の方から、にわかに賑やかな声がして来た。「あら~!女の子の靴~♪」と私には聞こえた。そして、おかず君の部屋におかず君のお母さんがお茶を持って入ってきた。
私は床に座っていたので、とっさに入ってこられたお母さんを見上げる感じで、「お邪魔してます」と途中まで言いかけた時だった。「まぁ!可愛い♪」と笑顔を浮かべながら、またまた賑やかにおっしゃった。私は学生時代はイモ姉ちゃん、そして働き出してもどっか間が抜けているOLだったから、そんな風にそんな事を言われた事がなく、嬉しいと言うよりびっくりした。
ちょっと照れてどうしようと思い、横のメンバーの3人を見たら、仕事や練習で疲れているのか、はたまた何かを考えているのか、いつもの冗談も出ず、シラ~とした雰囲気たった。『お母さん、おやめなすって!空気をさっしてぇ・・』と思っていたが、お母さんはしばらく私の顔をまじまじ見てニコニコしてらっしゃった。
一見、ナンパのおかず君も本当は硬派で、女の子を家にあまり連れて来た事がなかったのかもしれない。『もしかしたら、彼女と間違えているんじゃないかしら?』と一抹の不安があったけれども、いっぺんで明るいおかず君のお母さんが好きになった。

夏にもお邪魔した事があった。いつまでも帰らない客人に、夜、素麺と切ったオクラを出して下さった。私はオクラをあまり食べた事がなく、この星型のような綺麗な野菜は何かしら?と思ってご馳走になった。


その2~3年後に私はあっと言う間に結婚してしまい、後に相手の両親と同居を始めた。
私は、ただの飯炊き女になっていた。赤ん坊だった子供は隣の小姑の家に連れていかれ、長男はしばらくの間、小姑をお母さんと呼び、私をお手伝いさんとでも思っていたらしい。酒乱ぎみの舅の為に早く夕飯を作らなければならなかった。辛い時は2階に駆け上り、彼らに当時もらったカシオペアのテープをかけて、声を押し殺して泣いていた。そんな事をしていると、またサボっているのかと思われ姑に「かよこー!」と下から呼ばれた。優しい彼らは「かよちゃん」とチャン付けだったなぁと思うと、また涙が止まらなくなった。


オクラの季節になると私は好んで食卓に出した。切ると星型みたいで、かわいくて好きだった。その頃の私はオクラを切る時、必ずと言っていいほど、おかず君のお母さんを思い出した。『おかず君のお母さんだったら、こんな私でももう少し大切にしてくれたかもしれない・・でも、おかず君のお母さんと?結婚するわけにもいかないし・・』と思いながら涙をこらて、オクラを切った。
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by madamkayo | 2005-07-19 14:37 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 8/25

8. さつきが丘団地

昨年のさつきが丘の夏祭りに招いていただき、と言うより押しかけて訪れた時は、とても懐かしかった。車では、弟が駅まで送ってくれる時に何度か通っていたけれども、降り立ったのは久しぶりだった。

景ちゃんが迎えに来て下さり、公園に向かった。みんなの家はどこなんだろう・・?と思い、景ちゃんに聞くと、こっちがおかず君家、こっちの方が今のいんご君家、さいちゃん家、そして圭ジョン君家、ジョン藤さん家はもっとあっちの方とか・・といろいろ教えてくれた。

さいちゃんが敷いてくれた芝生の上のゴザに腰を下ろし、さとみちゃんがふるまってくれた焼鳥を食べながら、ふと思い出した事があり景ちゃんに「私、こんなちょっと小高くなった土手のような芝生の上に当時の彼らと座っていた事があるわ」とポツリと言った。「その時、昭人くんにも会っているわ」と言い景ちゃんが「そうなの?」と答えた。脳ミソの奥の壊れかけた回路がひとつ繋がったような一瞬だった。

いつだったろう。涼しい風がここち良い季節だったかもしれない。その時も夕日が出かかっていたような気がする。
バンドの練習の帰りだったのか、何の為に集まったのか、全く覚えていない。

私は芝生に直に体育座りで座っていた。少し離れて右並びに、いんご☆君が座っていた。彼は前方をクールに見つめていて、横顔は誠にかっこいいのだが、何やらおなかが空いていたらしく、片手に何個ものバターロールパンが入った袋を1袋持ち、もう片方の手でそのバターロールパンをパッコンパッコンと口に運び食べていた。私は誰とも喋る相手もいなかったせいもあり、一個を3口いえ2口で食べていると言うより飲み込んでいるかに見える、上品に且つ鮮やかないんご☆くんの見事な食べっぷりを、あきる事なくボーッと見ていた。
だから前方の景色を覚えていないのかもしれない。

左後方から、当時のジョン藤さんの声がした。彼は、テレビの仕事のA・ディレクターをしていて大変な仕事の様子を、圭ジョン君か誰かに一生懸命話していた。遠くの移動が何ヶ所にものぼりハードでほとんど眠っていない事、外の仕事は重たい物をずっと持って、肩が剥けるほど焼けてしまう事など事細かに話していた。KT高校出身者の愉快な仲間達とは雰囲気が違い、さすがK高校、偏差値が2~3点上なだけで、インテリな感じがした。

一昨年前の大塚のライブでお会いして、まだテレビの仕事を続けている事を聞いてびっくりした。私は、失礼ながらその時、その話が本当に大変そうなので、彼は続かないのではないかと思ってしまっていた。それが今では、Aがはずれディレクターさんと言うからまたまびっくりした。当時のインテリの近寄りがたい感じは全く取れていて、とてもマイルドになられていて、今の方が親しみやすくてとても好感が持てる殿方になられたなぁと思ったものだ。

「じゃあ、私、昭人さんとは、あの頃2回会った事があるわ。」と景ちゃんに言っていると、「いや、3回会っているよ!」と後から夏祭りに来たおかず君が言った。
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by madamkayo | 2005-07-18 14:36 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 9/25

9. CASIOPEAのコンサート

ジョン藤さんに会ったのは、あと一回はもちろんあの『残暑お見舞いコンサート』の時。で、「あと一回は?」とおかず君に聞くと、「カシオペアのコンサートの時、帰りの俺の車の後部座席に昭人と乗っていたよ」と言うから、びっくりした。昭人君と同じ車に乗せてもらった記憶はどうしても思い出せない。そこの脳の回路はどうも死滅してしまったらしい・・・
ジョン藤さんが「そうだよなぁ~。あの頃は誰かの車に乗っては移動し、またどこかに行って合流したりしていたんだよ。」と、さとみちゃんがふるまってくれたおでんを食べながら、懐かしむように言った。


そう、私達は本物「CASIOPEA」の研究も怠らなかった。いや、ただ見て聴きたかっただけで、単なるファンであった。当時カシオペアが千葉の市民会館に来て、みんなでコンサートを見に行った。大人数でゾロゾロ行ったから、逆に全部のメンバーを良く覚えていないのかもしれない。

本物のCASIOPEAは流石に凄かった!息もつけないぐらいの技巧派の演奏と煌びやかな彼らのサウンドに包まれて、私達は興奮した。何しろそれを目指してコピーしているから、自分達もそんな風に演奏できそうな錯覚を覚えた。

ほぼ一列に陣取った席で私はその中でも右の方の席だった。左隣には、いんご☆くんが座っていた。彼も感激していて「コピーの為の音を取って聴こうと思うと疲れるね!」「うん、気にしないで楽しんだらいいのか、どっちにしよう!迷うね!」と、煌びやかなサウンドの中で少し大声で声を掛け合った。

佳境に入ると、ベースの桜井さんが、舞台から降りて客席で弾き始めた。わぁ~、カッコいい!♪と思っていた瞬間、列の左の方に座っていたおかず君がスックと立った。なんと、桜井さんと並んで、「ベンベベン♪」とベースを弾く真似をしたのだ。私は「キャー!」と言って喜んだ。いんご☆くん達は笑いっぱなしだった。
凄いっ!憧れのCASIOPEAの桜井さんと我らがおかず君の夢の共演だった。
そんな風に彼は、突然度胸を見せたりした、ヤンチャ坊主さんだった。

そんな事を思い出して、景ちゃんに「私、間違っておりましたぁ!昭人君に2回ではなく、3回、昔会っていたようでーす♪」とちょっとお酒も回ってきたのか、おちゃらけて景ちゃんに言うと、景ちゃんはいつもの癒し系スマイルを返してくれた。

しかし、おかず君の記憶力はすごかった。他に「トランクボーン事件」の話しをその時いたさいちゃんにこれ見よがしにして「それがよ~!せっかく重い楽器をトランクに載せてやったのによぉ・・」「ホウっ!」とさいちゃんも大喜びで聞いていた。それに、他に付き合っていた彼氏の話まで事細かに覚えていて、下の芝生の土を掘って中に入りたい気持ちになった。私は当時何でもおかず君に話していたのだろうか?それとも誘導尋問に乗ってしまっていたのだろうか?くやしいかな、おかず君の当時の面白話がその時浮かばなかった。
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by madamkayo | 2005-07-17 14:35 | CHIPSの思い出

「CHIPSの思い出」 10/25

10. 「残暑見舞いコンサート」への道

私がChipsに入ってから翌年の事だった。ライブに出させてもらえるチャンスが来た。実行委員のハリ村君から来た話らしい。

Chipsの練習の日数も多くなって来た。でも、その時できる曲は4曲だけだった。


「ASAYAKE」: Chipsの看板として練習し始めた代表的な曲。伸びのあるギターとパワフルな
          ドラムが印象的な華やかな曲。

「SUNNYSIDE FEELIN'」: エレピ中心の曲。中盤のベースもかっこいい。
                 題名の通り、明るい爽やかな曲。

「スマイル・アゲイン」: チョッパーベースと十手観音のドラムの技が光る。シンセも3つの音を
                即座に切り替えた難しい曲。

「MAGIC RAY」 :スローなメロウな感じの曲。


4曲目のMAGIC RAYは、出演が決まって、これなら簡単だろうと駆け込み的に練習して出来るようになった。そこからの、演奏できる曲が続かない・・・

聞くと、5~6バンドが出て、当日の1バンドの持ち時間が1時間と聞いてびっくりした。何かの間違いではないかと思った。もう、日にちもない。
今の所、4曲では、1曲5分としても20分で終わってしまう。

では「ドミノライン」と言う曲を練習してみようと言う事になった。この曲の見せ場は、ドミノが倒れるように、バスドラがドンドン・・と4拍子を刻む中に16部音符を「タタタタ」とギター・ベース・シンセで刻まなければならないのに、どうも「タタタ」とどこかがくっ付いてしまう・・。これは、却下。

私は、その時ひとりで練習していた「『TAKE ME』をやってみない?」と勇気を持って言ってみた。この曲は、エレピが中心なのだが、「サニーサイド・・」に比べると当時の私にはかなり難しかった。でも今から必死になれば・・と思い言ってみたが、大将の圭ジョンくんに、ギターのソロの所がこれまたかなり高度な技がいったらしく「できるわけないじゃないかぁ!」と言われてしまった。そうかぁ・・バンドって誰かが出来なきゃ無理なんだよねぇ・・といやにその時の私は理解があった。
今の強くなった私だったら、「曲が足りないのだから何とかアレンジしてでもやっておいでよ。」と言い、逆にまろやかになった圭ジョンくんに「かよちゃ~ん、勘弁してよ~!」と逆転していたかもしれない。

さぁ、困った。では、得意な「ASAYAKE」を最後にアンコール的に持って来て5曲にしようと言う事になった。

バンド同士の入れ替わりの時間を15分引いたとしても、あと20分余ってしまう・・・
どうしよう・・・諦めかけた時、誰かが「そうだっ!」と言った。
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by madamkayo | 2005-07-16 14:34 | CHIPSの思い出