「あぁ~、おピアノ教室」幼少編・(最終章・前編)
2006年 09月 07日
『ピアノが欲しいの巻・その1』 (久々の私小説・続きです^^;)
当時の公団住宅は、6畳間が2部屋とダイニングキッチンの2DK。昭和の団地としてしては、主流の間取りであったけれども、家族4人、子供が育ってくれば、狭く感じられるようになるのは、仕方がない事であった。
この住宅事情で、ピアノを買ってもらえないのは、子供ながらに我慢しなくてはいけない事とわかっていた。
しかし、その気持ちに刺激を与えるような出来事があった。
小学校3年生の時、隣に同じ学年の女の子が引っ越して来た。
隣と言っても、同じ棟で隣の階段の、壁を挟んだ家であった。
K子ちゃんと言って、利発そうで、子供ながらにこの子は将来美人になるんだろうな~と言う顔立ちをしていた。
ハキハキと物が言える子で、転校して来てもすぐにクラスになじめ、学校も一緒に帰り、すぐに仲良くなった。
その子もピアノを習っていたので、私が一番弟子で教えてもらっている、○原先生を紹介して、ピアノ教室も同じになった。
彼女の家にも行き、よく遊んだ。そこで、とても羨ましい事がひとつだけあった。
彼女の家には、『ピアノがあった』のだ。
彼女は、1人っ子で、やっと出来た子だとかで、大切に大切に育てられていた。
ピアノだけでなく、沢山の本が本棚に並んでいて、私も不自由なく育って来たとは言え、隣の芝生が良く見える物で、羨ましいな~と思う事が何度かあった。
でも、呑気な私は家に帰るとそんな事は忘れてしまう事が多かったけれども、K子ちゃんのピアノの音が聞こえてくると、話は違ってきた。
○原先生もこの頃、団地の人達も噂を聞いてか、生徒が十何人にもあっと言う間に増え、一番弟子の私も「ソナチネ」「ソナタ」と言う教本に進んでいた。
そして、○原先生の指導の元、井の中の蛙として、順調に変な自信だけはつけていた。
発表会の時などは、小さい子達の前で、最後のトリを取り、ちょっと華やかめの早弾きの曲などを披露して、後輩のちびっ子達に「おね~ちゃん、すごい」と言われて、満足していた。
そんな不動の地位が揺るぎ始めて来た。
K子ちゃんの「おピアノの練習の時間」が夕方頃始まると、当時の薄っぺらいコンクリートの間の壁を越えて、アプライトピアノの背面から、ピアノ音が見事に、我が家の2DKに響いて来た。
そうすると、私も刺激されて、一応自分の部屋に行き、エレピに向かって練習を始めた。
し・しかし、「ソナチネ」「ソナタ」になると、鍵盤が明らかに足りないっ!
私は、右の縁(ヘリ)の所で、カタカタと指を動かし、鍵盤があることを想定をして、またカタカタと戻ってくるような練習を繰り返していた。
そうこうしている間に、利発なK子ちゃんのピアノのお稽古は順調に進んでいるようで、私の習っている曲目にジワリジワリと追いついて近づいている事に気が付き始めた。
ま・まずい、このままでは、追いついて越されてしまう。。。一番弟子の不動の地位が・・・
・・・・・・「ピアノが欲しい・・・!」と真剣に思い始めた。
それからの私は、事あるごとに親に、「ピアノが欲しいー!ピアノを買って~!」と言うようになり、母親には、「この家のどこに置くの?」と、叱られる日々が続いたのだった。
(つづく)
(写真: 左奥・○原先生、後列右端・K子ちゃん、右2番目・私-小学校4年生位)
当時の公団住宅は、6畳間が2部屋とダイニングキッチンの2DK。昭和の団地としてしては、主流の間取りであったけれども、家族4人、子供が育ってくれば、狭く感じられるようになるのは、仕方がない事であった。
この住宅事情で、ピアノを買ってもらえないのは、子供ながらに我慢しなくてはいけない事とわかっていた。
しかし、その気持ちに刺激を与えるような出来事があった。
小学校3年生の時、隣に同じ学年の女の子が引っ越して来た。
隣と言っても、同じ棟で隣の階段の、壁を挟んだ家であった。
K子ちゃんと言って、利発そうで、子供ながらにこの子は将来美人になるんだろうな~と言う顔立ちをしていた。
ハキハキと物が言える子で、転校して来てもすぐにクラスになじめ、学校も一緒に帰り、すぐに仲良くなった。
その子もピアノを習っていたので、私が一番弟子で教えてもらっている、○原先生を紹介して、ピアノ教室も同じになった。
彼女の家にも行き、よく遊んだ。そこで、とても羨ましい事がひとつだけあった。
彼女の家には、『ピアノがあった』のだ。
彼女は、1人っ子で、やっと出来た子だとかで、大切に大切に育てられていた。
ピアノだけでなく、沢山の本が本棚に並んでいて、私も不自由なく育って来たとは言え、隣の芝生が良く見える物で、羨ましいな~と思う事が何度かあった。
でも、呑気な私は家に帰るとそんな事は忘れてしまう事が多かったけれども、K子ちゃんのピアノの音が聞こえてくると、話は違ってきた。
○原先生もこの頃、団地の人達も噂を聞いてか、生徒が十何人にもあっと言う間に増え、一番弟子の私も「ソナチネ」「ソナタ」と言う教本に進んでいた。
そして、○原先生の指導の元、井の中の蛙として、順調に変な自信だけはつけていた。
発表会の時などは、小さい子達の前で、最後のトリを取り、ちょっと華やかめの早弾きの曲などを披露して、後輩のちびっ子達に「おね~ちゃん、すごい」と言われて、満足していた。
そんな不動の地位が揺るぎ始めて来た。
K子ちゃんの「おピアノの練習の時間」が夕方頃始まると、当時の薄っぺらいコンクリートの間の壁を越えて、アプライトピアノの背面から、ピアノ音が見事に、我が家の2DKに響いて来た。
そうすると、私も刺激されて、一応自分の部屋に行き、エレピに向かって練習を始めた。
し・しかし、「ソナチネ」「ソナタ」になると、鍵盤が明らかに足りないっ!
私は、右の縁(ヘリ)の所で、カタカタと指を動かし、鍵盤があることを想定をして、またカタカタと戻ってくるような練習を繰り返していた。
そうこうしている間に、利発なK子ちゃんのピアノのお稽古は順調に進んでいるようで、私の習っている曲目にジワリジワリと追いついて近づいている事に気が付き始めた。
ま・まずい、このままでは、追いついて越されてしまう。。。一番弟子の不動の地位が・・・
・・・・・・「ピアノが欲しい・・・!」と真剣に思い始めた。
それからの私は、事あるごとに親に、「ピアノが欲しいー!ピアノを買って~!」と言うようになり、母親には、「この家のどこに置くの?」と、叱られる日々が続いたのだった。
(つづく)
(写真: 左奥・○原先生、後列右端・K子ちゃん、右2番目・私-小学校4年生位)
by madamkayo
| 2006-09-07 12:14
| 私小説